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栃の実について
栃の木になる「栃の実」は、厚い果皮の中にある種子のことで、その果皮の中には1~2個の栃の実が入っています。
夏の終わりから秋になると、黄緑色から茶色に熟し、大きさが5~6cmほどに成長した厚い果皮が三裂し、中の種子
(栃の実)が顔を出します。この栃の実1個のサイズは約3~4cmです。木が高くなる栃は、直接、実を採ることが難しいので、
果皮ごと落ちてきたものの中から実を採集するのが一般的です。 この栃の実は、見た目が栗と非常によく似ており、栗のとがっている部分をなくし丸みをつけたような形で、色を濃くし光沢がある、 コロコロとした愛嬌のある実です。 | ![]() |
栃の木について
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高さが20~30m、幹の太さも1mを越えるものも少なくない、日本にのみ自生する高木の落葉広葉樹です。
日本に自生する樹木の中では大木になるものの一つです。 「栃の木」が属するトチノキ科トチノキ属には24種の仲間があり、トチノキ属はアジアやヨーロッパ、インド、 北アメリカなど北半球に広く分布し、主に街路樹などに使われ世界中で慣れ親しまれています。 もっとも有名な通りとしても知られている、フランスの首都パリにある「シャンゼリゼ通り」の街路樹は、 日本のトチノキの近縁種である「セイヨウトチノキ(マロニエ)」の並木道になっています。 また日本でも、霞が関の桜田通りや岩手県庁前・栃木県庁前などが、街路樹としてトチノキ並木が続いています。 トチノキは街路樹10樹種にも選ばれ、栃の木は全国で街路樹として植栽されてきました。 |
栃の花について
栃の花は5月~6月の初夏に、大型で遠くからでも綺麗な花を確認できる白く赤みがかった15~25cmほどの円錐状の花を、
枝先の葉の間から咲かせます。 この花は、約1~2cmの小花が約100個集まり円錐状に形成しているもので、一つの花序には雄花と両性花が混在しています。 その大多数が雄花で、両性花は花穂の下部に位置しています。 一つの小花は、白色で基部が薄紅色の花弁が4枚、雄しべが7本長く突き出ており、雄花が多く集まっているため華やかさがあります。 「贅沢・豪奢(非常にぜいたくで派手なこと)」という花言葉をもっているほどです。両性花はそこに退化した雌しべがあります。 |
栃の葉について
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非常に大きく最大50cmになるものもある、対生した約5~7枚の木葉を手のひらのように広げた形の、掌状複葉が特徴です。
葉は枝先に集まり、葉の縁は波状でギザギザの切れ込み(鋸歯)があります。葉脈ははっきりと確認でき、直線的にほぼ平行に並びます。
葉は透けるような黄緑色~濃い緑色がとても綺麗で、裏面は表面よりも薄い緑色です。 夏季は干ばつやうどんこ病等によって葉枯れし、落葉しやすいのが欠点ですが、比較的育ちやすい木です。 秋になると、緑色から黄色に変化し、冬には落葉して粘液に覆われた冬芽で冬を越します。 |
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開花 |
栃の実つきはじめ |
栃の実採取 |
![]() 山々の間を流れる大鳥川 |
日本海に面する山形県庄内地方の最南端に位置する朝日村という地域でしたが、
平成17年に鶴岡市とその周りの藤島町、羽黒町、櫛引町、温海町と合併し鶴岡市となりました。 大部分が山地で占められており、庄内地方を流れ日本海にそそぐ川「赤川」の上流部「大鳥川」や「梵字川」 が流れる、自然豊かな地域です。また、大鳥池という巨大怪魚タキタロウが生息しているのではと有名になった池があります。 |
弊社で使用している栃の実は、この朝日地区で栃農家の菅原さんご夫婦があく抜きをしたものです。 朝日地区の栃の木が植生しているところは、自然豊かな山がゆえに急な斜面、また熊が出る可能性があり、 採集するには非常に危険な環境にあります。そのため、昔から栃の実と密接してきたこの地域でも、 たくさんいた栃農家は少なくなり、現在は片手で数えるほどしかいないのが現状です。 あとを継ぐ若い人もほとんどいません。 栃の実のあく抜きは、あくを抜かなければ口にすることができない食材の中でも非常に難しく、 時間がかかります。技術や根気が必要なあく抜き作業をしているご夫婦は、栃の実の達人です。 先人から受け継がれた知恵、道具を駆使し、いかに栃の実の風味を逃さずあく抜きをするか、 日々研究し取り組んでいる、大福城にとっても、鶴岡の文化を守るためにも、大変貴重な存在なのです。 |
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栃の実は縄文時代から愛されてきた実です。 ここ山形県庄内地方でも、縄文時代の遺跡から多数出土されたことから、栃の実は古くから雑木が豊かで清流が流れる地域で、 貴重な食糧資源であったと考えられています。 山形県遊佐町吹浦では、1998年に「小山崎遺跡」が発掘されました。 この遺跡は、縄文時代早期(約6500年前)~後期(約2700年前) の約3800年間に渡り繰り広げられてきたものです。 小山崎遺跡は日本海に近く、また山形県と秋田県にまたがる鳥海山の麓にあります。 鳥海山から流れる冷たい伏流水と粘土層によって温度が一定に保たれているため、天然の冷蔵庫のような状態になっています。 |